問いを立てられる人になろう。
高校とは何のためにあるのだろう。有名な大学に行くため?その先、大企業に行くため?それもあるかもしれない。でも、それだけじゃない。少なくともここ松陰高等学校では与えられた問いに応えられる。それより私たちが大切に考えるのは「自ら問いを立てること」。何のためなのか?誰のためなのか?常にそう考えることを通じて、物事の本質をとらえる力をはぐくむ。それは「自分とは何者で、どこに向かうのか」という一番大切なっことを自らに問い、可能性を模索することへとつながっていく。既存のシステムに問いを立て、よりよい社会をつくる、その一人になっていく。生徒たちもちろん、この学校で働く大人たちも。人生に回答用紙は無い。そこにあるのは、白紙だけ。さあ、共に問いをたてよう。
自立性の確立
自分で考え「問いを立て」知・徳・体に渡る「生きる力」手に入れる
戦後の日本は、工業で立国しました。その時代に必要な人材は、「言われたことを言われた通りにできる人」。だから学校教育も、「与えられた問いに答えられる子ども」を優秀とし、均質にそういう人材を育てるシステムでした。これからは、誰かに何かを指示される時代ではありません。混沌とする現代社会に必要なのは、問いを解けることではなく、「問いを立てられる」こと。
その中で、自分とは何者で、何がしたいのかを自らに問い、社会とどうつながるかを考える。知・徳・体に渡る「生きる力」を手にいれる。松陰高等学校での3年間は、そのためにあります。